プロフィール(運転履歴)

 始めまして、ノブ・ミヨシです。


   「運転について大変偉そうなことをほざいている、お前は何者だ!」

   「さぞかし、大そうな肩書きを持っているんだろうな!」


   申
し訳ありませんが、何の肩書きも持っていない、ごく普通のドライバーです。

   ただし、加害事故だけは絶対に起さない!あわよくば、被害事故にも巻き込まれたくないと考えている、

 交通事故回避テクニックオタク


   とでも呼んでください。

   しかし、私が、免許を取得し、実践交通社会に身を投じたときから、そうだったかと言われると、決してそうでは

   ありません。

 はっきり言って「やんちゃ」な時代もありました。
   (暴走族のメンバーだったことはないですが、今から思えば無謀な運転をしていた時代もあります。)

   私がどのようなドライバー人生をたどってきたか、余すところなく、公開しますので、ご参考にしてください。

   そして、私が皆さんたちと同じ目線の立場で、このノウハウを書いていることを理解してください。

   私は、大きな肩書きもなく、すばらしい表彰を何度も受けたことがない、どこにでもいる普通のドライバーで、

   このサイトを見ていただいた皆さんに、高飛車な態度で、接する気は毛頭ないことを、理解していただければ

   幸いです。



  1964年


  大阪府高石市に生まれる。


   子供のころは、あまり車や、バイクに興味がなかった。

   鉄道が好きで、住んでいたアパートの近くの電車をボーッと眺めていた。

   ただし、父親の車(中古のパプリカ)に乗せてもらうことは好きだった。

   父親は、長距離と渋滞と同乗者が寝ることを大変嫌っていたので、遠出をしたことはない。

   遠足のバスは大嫌いだった。吐きまくっていた。



  1982年

  18歳 初免許取得 原付オートバイ

   原付オートバイは16歳から免許取得可能であったが、3ナイ運動全盛期(高校生にバイクを乗らせない)で、

   まじめな私は、高校を卒業してから免許を取得。

   この時点でも、バイクに興味があったわけではない。

   田舎へ引っ越したために、アルバイトの通勤の足として、また母親も買い物の足として、親子揃って仲良く免許

   を取得した。



  1983年

  19歳 4輪普通免許取得

   アマチュアバンドを結成し、ドラムをやっていたので、楽器の運搬に車が必要となる。髪型がアフロヘア

   (パパイヤ鈴木のような)だったので、教習所では、暴走族と間違えられた。

   免許取得1週間後にアルバイトの仲間と、車で、北海道貧乏旅行に出かける。

   ここで、降雪以外のすべての走行場面を体験する。


  長距離走行

  高速道路走行

  夜間走行

  カーフェリー乗船

  雨天走行

  濃霧走行(これが一番怖かった。)

  峠道走行

  狭路走行

  ダート走行(未舗装道路)

  インキー(鍵閉じ込め 走行場面じゃないですが)



  1984年

  20歳 マイカー購入 ダイハツミラ(中古4年落ち20000キロ)

   普段、父親の車を運転していたが、私の車内での喫煙が気に入らないらしく父親から、自分の車を購入する

   よう勧められる。と言うことは、お買い上げしていただけるものと喜んだが、きっちり私自身でローンを組まされる。


   タイヤが坊主になったため、タイヤ交換する。

   ノンターボ・550cc・29馬力で全然走らないのに、かっこつけて、165の太いタイヤを装着する。

   前輪は完璧に車体からはみ出していた。



   ある日、白バイに止められ、整備不良で、切符を切られる。

   白バイ隊員曰く

   「タイヤだけなら、後日元のサイズに戻して出頭すれば、切符を切るのをやめて上げようと思ったが、お前ハンドル

   まで、レーシングハンドルに変えているから、
ダメダ!

   なに!

   「ハンドルは中古で買ったときから、これが付いていたよ!」

   「そんなもん関係ない!」

   罰金以上に再度、新しいタイヤやハンドルを購入しなければならず、そっちの方が高くついた。


   友人と海水浴の帰りに、検問に引っかかる。友人の車だったので、初心者マークを貼り忘れており、免許証を

   持って降りるよう指示を受ける。

   降りた瞬間、「お前の履物もダメダ!」と言われる。

   鼻緒のないサンダルで運転してはいけないそうです。

   ちなみに、はだしは良いそうです。

   重箱の隅をつつくようなやり方にさすがに腹が立ちました。

   それ以降、ちょこまかと違反切符を切られるが、免停までは至らない。

   このころより、スキーにもはまる。

   道やアイスバーンの運転、チェーンの巻き方、降雪時の運転など、徹夜運転など色々経験する。



  1985年

  21歳、中型バイク免許取得

   私の軽自動車にはエアコンが付いていない。真夏は窓を全開にしても暑い!

   当時の軽自動車にはエアコンなしが当たり前であった。

   といって、普通車を購入する予算はなかった。

   中型バイクなら、原付バイクよりスピードも出せるし、鉄の箱の中で運転しているより、涼しいし、普通車の中古より、

   安い値段で、新車購入も可能という、単純な理由からです。


   実技卒業試験の日に人身事故を起す。

   8点減点で一発免停のはずが、1年間の執行猶予を頂く。

   3日後、踏み切り一旦停止不履行で検挙!

   反省していなかったのではなく、事故のショックでボーっとしていました。

 免許停止決定!!!(1ヶ月)

   講習を受けて、免許を返してもらう。

   鈴鹿8時間耐久オートバイロードレースを観戦する。(地元の友人の紹介で無料で見れるスポットで盗み見た!)

   暑かったが、感動した。


   オートバイにはまる。

   レースを見て感動したはずなのに、なぜかアメリカンバイクにはまり、アウトローにあこがれる。

   当時は、レーシングバイク全盛で、変人扱いされる。

   バイクは好きだが、飛ばすことにあまり関心がなかった。

   わざわざ、運転しにくいバイクを如何に乗りこなすかにカッコよさを求めていた。

   (やっぱり変な奴ですね。)



  1987年

  23歳 大型バイク免許取得(限定解除)

   就職活動をし、何十社と試験を受けたが、幸か不幸か、オートバイ関係の会社にしか受からず、そのまま就職。

   会社の規定により、社員は限定解除資格を持つこととなっていたので、就職までの数ヶ月間、限定解除の飛び込み試験

   を5回受けるが、惨敗。

   (当時、限定解除は警察の免許センターで飛び込み試験を受ける以外方法は、なかった。今は教習所で取れます。)

   会社に入社し、研修期間中必死で訓練し、ようやく合格した。


   大阪配属となり、毎日営業で車の運転をするようになる。

   免許を取って初めてコラムシフト(タクシーのシフト。ハンドルの横からシフトレバーが出でいるタイプ)のトラックを運転し、

   慣れるのに苦労したが、今は、かえってフロアシフトの方が運転しづらい癖が付く。

   また、トラックばかり運転していたので、ボンネットの長いタイプの車が苦手となる。(普通乗用車に乗ると今だに、

   スーパーカーに乗っているような感覚になります。)


   バイク好きが集まったような会社だったので、殆どの社員が、バイク乗りで、気が狂ったような飛ばし屋も多かった。

   取引先のバイク屋のイベントでサーキット走行会の手伝いに行った。

   そこで、悲惨な事故を目撃し、(右足切断)私には、レースは向かないと痛感した。



  1988年

  24歳 憧れの大型アメリカンバイク購入(1500cc水冷 V型2気筒)

   友人と、本州すべての都府県をバイクで走破した。

   担当エリアの配置換えがあり、私の担当地域は、大阪府岸和田市から南と和歌山県全域となった。

   私の最も遠い担当のお店は、
和歌山県新宮市だった。

 私の会社から片道290キロ、往復580キロあった。


   1月に1回か2ヶ月に1回ぐらいしか、行けないが、はっきり行って苦痛な距離だつた。

   最初の間は、紀伊半島の非常に景色の良いところを走るので、半分旅行気分で楽しかったが、当時、高速道路もまだ、

   開通していない部分が多く、片道290キロの道程中少なくとも200キロ以上は一般道路だった。

 片道7時間半かかります。往復で15時間・・・・

   私はこの仕事で長距離走行があまり苦にならなくなったのかもしれない。

 しかし、私の運転はこの時期最も荒れていました。

   走っても走っても、なかなか目的地に着かない。

   和歌山市内から次の取引先が湯浅町 約1時間。

   湯浅町から次の取引先が御坊市 約1時間。

   御坊市から次の取引先が田辺市 約1時間。

   ところが、次の取引先である新宮市まで、どんなにがんばっても約3時間かかる。


   一般道でも空いていれば、スピード違反は当たり前、遅い車が走っているとテールトゥノーズで前方の車のぎりぎり

   まで迫り、「どきやがれ!」といわんばかりの走り方だった。

   はみ出し禁止の黄色車線でも、少し、直線で見通しが利けば、お構いなしに、追い越し走行していた。

   一度峠道で、新車のオートバイを5台積んで走行していたときに、最後尾に積んでいた新車のオートバイを落とした

   こともある。

   今から思えばこの当時良く重大事故を起さなかった物だと思います。


  1990年

  26歳 東京へ転勤。

   大阪に比べて私の担当する取引先の会社から距離は、はるかに短くなった。

   しかし、近いはずなのに、すごく時間がかかる。

 そう!大渋滞です。

   すさまじいのです。環状7号線や8号線、山の手通り、246号線、15号線・・・

   都心部の幹線道路は、24時間渋滞しているといっても過言ではない。



   10数キロ進むのに1時間以上かかることはざらであった。


   唯一空いているのは、年末年始だけだった。

   同じ道を10キロ走るのに15分で着いて自分でびっくりしたことがある。

   (本来これが普通ですが)


   転勤して、営業に出だした当初は、非常にイライラしていた。

   私は、大阪時代に無謀な運転をしていたが、会社へ入社してから、一応無事故無違反だった。
   (一度、新車のオートバイを落としましたが)


   私は、自分の運転技術に自信を持っていた。


   だから、東京抜け道マップという地図も買った。

   少しでも渋滞を避けるために・・・・

   結果は同じです。
抜け道も渋滞しています。

 そのうちに、悟りを開きました。

   大阪時代に私がやってきた運転キャリアは、東京では何の役にも立たないと。

   飛ばしたくても、飛ばす道がない。追い越したくても追い越すスペースがない。

   のろのろ走っているのは自分の前の車だけではなくて、廻りみんなが同じ、状況なのだ。



  人より早く走ることはあきらめよう、この強烈な渋滞環境の中で、とりあえず

  事故だけは、起さない様にしよう。



   そう思ったときから、私の運転は変わりました。

   渋滞しているから、走行速度はものすごく遅いのです。


  つまり、ゆっくりと様々な、状況変化を察知することが出来るようになったのです。


   はっきり行って、東京の道路行政は、地方都市に比べて10年以上遅れていると思います。

   私が東京で生活していたのは、もう10年以上前なので、今は良くなってきているかもしれませんが、私が

   いたころは、道路の作りそのものが、おかしかったのです。


  例えば、


  片側3車線だが、1車線の巾が狭すぎて、大型車同士は追い抜いたり、併走出来ない。

   地方都市へ行けば、片側2車線の道路を無理やり3車線に変えたような感じです。


  3車線あった道路が交差点を過ぎるといきなり予告もなしに、2車線に変更されている。

   怖いですよ!交差点を通過したとたんに、どの車線を走ってよいのかわからなくなります。


  交差点ごとの右折専用ラインや左折専用ラインなどの予告標識が、極端に少ない。

   直進したいのに、気がつくと、左折や右折専用ラインにいることがわかり、突然車線変更しなくてはいけない。



  超幹線道路である道に平面交差の踏切がある。

   10年前は工事をしていたので、今は立体交差になっているかもしれませんが、私には信じられませんでした。



   こんなことを言うと、石原知事に怒られるかもしれませんが、東京の道路事情はものすごく排他的です。

   走り慣れれば、各道路の注意ポイントはわかりますが、標識といい、道路の作りといい、初めて走る人には、

   あまりにも不親切です。


  「いやなら東京に車で近づくな!」
と言わんばかりです。

   ただマナーは良く感じられました。

   強引な割り込みや、無謀な運転(混んでいるのでそんなこと出来ませんが)は少なく感じました。


   でも、この道路環境では、事故や渋滞が起きるのは、当たり前です。



  1994年〜現在

  私は結婚し子供もでき、関西に戻りました。

   私は、もともとスピード狂の性格ではないと思います。でもやはり限度があります。

   私が以前仕事で和歌山県を走っていたときは、逆に仕事だから、あんなに無謀な運転をしていたのかもしれません。

   仕事は、どうしても時間に制約されます。

   だから、車を早く運転させることそのものにはあまりこだわりがありませんでした。

   貴重な時間を大切にしたいだけでした。

   別に会社のロゴマークの入ったトラックで峠をガンガン攻めても、だれもカッコいいとは思わないでしょう。まして荷台には、

   オートバイがロープでくくりつけてあるのですよ!


 人が見れば笑いますよ!


   でも、事故も起さず早く走れる自分に酔っていたのも事実です。

   私は、東京での生活が出来てよかったと思います。

   本当のかっこいい運転テクニックが何かを知ることが出来ましたから。


   残念ながら、すでに亡くなりましたが、私の義理の父親は、個人タクシーの運転手でした。


 プロ中のプロです。
 絶対の自信とテクニックを持つ、職人です。


  自分以外の人がハンドルを握っていると、おちおち寝ることも出来ないタイプでした。

   その、義理の父親が、私の運転する車の後部座席で、ぐっすり寝てくれたときは、

   私は、ものすごく嬉しかった事を覚えています。


   あなたも、このノウハウを通じて、人に信用されるドライバーになってください。

 あいつなら、間違いない
と人に思われることは、すばらしいことですから。

     
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